画学生の記録 岩鼻正修から見る東京美術学校の教育
開催期間: 2025年09月19日(金) 〜 2025年10月19日(日)
岩鼻正修(いわはな せいしゅう 1880-1945)は京都府の士族の家に生まれました。父・克(かつ)は亀岡藩の藩士として明治維新を迎え、その後は裁判官として過ごしています。正修がいつごろから美術教師を目指したのかは分かりませんが、中学校在学中に描いた水彩画も多数残されています。
正修は東京美術学校へ入学するため上京し、東京美術学校豫備課程で学びます。そして1900年9月、東京美術学校西洋画科本科に入学します。美術学校在学中は熱心に学問に向き合い、多くの課題に取り組みました。岩鼻の入学した年は優れた美術家を輩出しており、青木繁、熊谷守一、斎藤豊作、山下新太郎など後世に名を残した画家もおります。
岩鼻は卒業後、水戸中学(現在の茨城県立水戸第一高等学校)を皮切りに美術教師として後進の育成に努めました。水戸中学後は大阪に拠点を移し、府立高津中学校(大阪府立高津高等学校)で定年を迎え、その後、浪速中学校(現在の学校法人浪速学院・浪速高等学校)で指導を行いました。
岩鼻の遺族のもとには、岩鼻が美術を志したころのスケッチなどから、東京美術学校在学時に制作した課題、デッサンなどが多数残されていました。
本展ではこれら岩鼻の資料をもとに明治末に東京美術学校で行われていた美術教員への美術教育を紹介し、あわせて当時指導者の代表・黒田清輝が完成させた究極の美術作品《智・感・情》(重要文化財)と岩鼻と共に学んだ画学生のデッサンを展示するものです。
※チラシに記載した岩鼻正修の没年に誤りがありました。正しくは1945年です。
◆美術館学芸員によるギャラリートーク
9月21日(日)、10月4日(土)、10月19日(日)
それぞれ午後2時から